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日立連合ねぶた委員会

坂上田村麿(さかのうえたむらまろ)「ねぶた伝説(でんせつ)

作: 北村 蓮明




 今から約千二百年前。

 東北には蝦夷(えみし)と呼ばれた縄文文化の流れを汲む部族があった。時の朝廷 (かん)()天皇は、東北、陸奥(むつ)地方をも支配下に置こうと、何度も軍を送るがことごとく敗れ、最後の切札として、武官である坂上(さかのうえ)田村(たむら)麿(まろ)を送ることにした。

 坂上田村麿は、防具や(よろい)を強化するなど軍制を改革し、岩手(いわて)胆沢(いさわ)地方を平定させ、いよいよ津軽青森へと入り、最も手強い大丈丸(おおたけまる)を追いつめ成敗した。

 次に八甲田山中へ立てこもる(おんな)首領(しゅりょう)阿屋須(おやす)と、弟で副首領の屯慶(とんけい)を、原生林深く攻め入るが、本陣がわからず、逆に毒矢を射られて苦戦を強いられた。

そこで坂上田村麿は考え、(かや)で大きな人形を作らせ、あわせて笛、太鼓、(かね)をたたき囃し立てた。何事かと珍しさに現れた者たちに、阿屋須と屯慶の居所を聞き出し、大灯籠を用いて討ったのである。

 ねぶたは、大灯籠の原型「(かや)人形(にんぎょう)」を用いて、屯慶と相対する場面、今日に伝わる「青森ねぶた」の原型「ねぶた伝説」のはじまりとされる。さらなる郷土の発展を願う。


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