私たちのねぶた自主製作実行委員会
稀代の名工 左甚五郎[きだいのめいこう ひだりじんごろう]
作: 相馬我鵬と私たち一同


左甚五郎[ひだりじんごろう]は、江戸時代初期に活躍したとされる伝説的な彫刻職人、宮大工である。
甚五郎や、その作品にまつわる伝説は数多く、講談、浪曲、落語などにも取り上げられて、江戸の庶民にも親しまれていました。
日光東照宮の「眠り猫」、「三猿」、東京上野東照宮の「登り龍」など、甚五郎作と伝えられる彫り物は全国各地に存在します。
左の姓を名乗ったのは、左利きだった為、右腕を切り落とされながらも、左腕一本で彫刻を彫ったなど諸説あります。
ですが、作品量の多さや、製作年数が安土桃山時代から江戸末期まで300年にもわたる作品がある事から、実在しない伝説上の人物とも考えられています。
江戸中期以降、神社などに彫刻を多用するのが流行したが、寺社建築の優れた彫刻を、江戸の庶民達は、左腕一本の優れた技量で封建社会を自由に生きた甚五郎に結びつける事によって、一人の英雄を生み出し、全国に甚五郎伝説が広まって行ったのではないかと考えられています。