公益社団法人青森青年会議所
森山弥七郎 青森開港の誉れ[もりやまやしちろう あおもりかいこうのほまれ]
作: 立田龍宝


四〇〇年前、寛永二年(一六二五年)五月十五日、弘前藩第二代藩主 津軽信枚[つがるのぶひら]は、津軽から江戸へ廻船就航を許可する連署奉書を幕府年寄衆である土井利勝[どいとしかつ]、酒井忠世[さかいただよ]より拝領した。
これが港町青森の原点である。
翌年の寛永三年(一六二六年)四月六日に津軽信枚から藩士の森山弥七郎[もりやまやしちろう]へ黒印状が与えられ、青森市のまちづくりが始まっていった。
当初、大浜(現・青森市油川)の拡張を考案したが、大浜が遠浅であったため、陸上輸送の便利さを図るべく善知鳥村[うとうむら]を開港し、名も青森村と改めた。
その港には、北前船が来港し北陸や京、大阪から多くの人・ものが集まり、文化の交流が始まっていった。
人々の心の拠り所として、神社仏閣の建設なども行われ、今もなお青森市民の拠り所となっている。
青森開港から四〇〇年の本年、森山弥七郎によって遂げられた港町青森の始まりによって文化交流の拠点となった青森市は、青い山、青い海に囲まれる恵まれた地となった。
それによって青森市民は厳しくも彩りが豊かな春夏秋冬を明るく生きてきた。
その後、森山弥七郎は青森市のまちづくりの祖として 油川の浄満寺[じょうまんじ]の境内に弥七郎碑として祀られており、毎年八月三日には、盛大に供養祭が行われている。
このねぶたは、開港の誉れを受け、青森の明るい未来に向けて奔走する弥七郎と、荒波の中で文化を伝播してきた北前船の勇壮さ、そしてそれを見守る神々を表したものである。
まちづくりの団体として一歩ずつ歩み、明るい豊かな社会・青森を築き、青森青年会議所のねぶた いざ出陣である。