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日立連合ねぶた委員会

一ノ谷(いちのたに)(たたか)い 熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね

作: 北村 蓮明



 平安末期(へいあんまっき)から活躍(かつやく)した武将(ぶしょう)熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)』は、武蔵国(むさしのくに)大里郡(おおさとぐん)熊谷郷(くまがいごう)(げん)熊谷市(くまがやし))の領主りょうしゅであった。

 直実なおざね平家へいけつかえていたにもかかわらず、石橋山いしばしやまたたかいで敗走はいそうする源頼朝みなもとのよりともたすけるなど、じょうあつ人間にんげんだった。のち頼朝よりとも御家人ごけにんとなり、数々かずかず武功ぶこうげた。

(つね)先陣(せんじん)をきって()けていく姿(すがた)は「当代随一(とうだいずいいち)武将(ぶしょう)」とも(ひょう)されていた。しかし、一人(ひとり)(わか)武者(むしゃ)()()ったことが、その()人生(じんせい)()えることとなる。

 それは一ノ谷いちのたにたたかいでのこと。

 手柄てがらをたてようと、直実なおざね海辺うみべをひとりげる平家へいけ若武者わかむしゃかってひとことはなった。

「いざや平家(へいけ)公達(きんだち)(かえ)(かえ)せ、(てき)(うし)ろを()せるのは(はじ)であろうぞ」

(なお)(ざね)()(かえ)してきた若武者(わかむしゃ)()らえ、息子(むすこ)ほどの(わか)さに(おどろ)き、ためらい、(たす)()がそうとするが、後方(こうほう)から味方軍勢(みかたぐんぜい)()って()たため人手(ひとで)にかけるよりはと、(みずか)()()ったのである。

 後日(ごじつ)()()った若武者(わかむしゃ)平氏(へいし)大将(たいしょう)平経盛(たいらのつねもり)()敦盛(あつもり)という十七歳(じゅうななさい)少年(しょうねん)であると()り、息子(むすこ)ほどの(わか)武者(むしゃ)()らねばならぬ(せつ)なさ、()無情(むじょう)さに(さいな)まれ、後悔(こうかい)(ねん)(いだ)くこととなる。

 その直実なおざね武士ぶし身分みぶん家督かとくゆず出家しゅっけ蓮生れんせい名乗なの数々かずかずてら建立こんりゅうし、念仏ねんぶつとなつづけその生涯しょうがいをとじたのである。

 ねぶたは、なおざねまるおうぎをかざして、若武者わかむしゃこえをかけかえすよううながしている場面ばめん直実なおざね敦盛あつもり運命うんめい暗示あんじするかのように、とりれが一斉いっせいってく。


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