武蔵が、独力で鍛え上げた”二天流”により、剣客としての不動の名声を確立したのは、京都一乗寺下り松において、むらがる吉岡一門を相手に、その孤剣を絶妙の神技に舞わせたときからであった。
そして、その働きを目にした小次郎は、わが生涯をかけて挑むにふさわしい相手とみたことだった。小次郎にとって、三尺余の愛刀・物干し竿を跳ね返すものは、武蔵の秘剣をのぞいてはないと思えた。
竜虎の死闘は、このときはじまった。所詮避け得ぬ剣の宿命であった。
「卑怯!武蔵!得意の策か・・・!」一刻の余も待たされた小次郎は、その怒りを、陽光に物干し竿をきらめかせることによってぶちまけるや、鞘を波間に投じた。間髪を入れずに叫ぶ武蔵「小次郎、なに故に鞘をすてる!敗れるとみたか!」忿怒にもえた小次郎の足が、グッと砂を噛んだとき武蔵は、ほとんど信じられぬほどの迅さで走った。唸りを生じて襲う、物干し竿のきらめき!一瞬のち、正眼の武蔵と大上段の小次郎は、ともに砂をふんでいた。
一呼吸、二呼吸−−ふたたび激突した二つの影、小次郎の足は、ジリ、ジリと武蔵に迫る−−と、突然、武蔵は構えを崩すや、無造作な歩みで小次郎に近づく。小次郎の足がとまる、刹那−−砂を蹴った武蔵の影は、飛鳥のごとく小次郎の頭上を翔(か)けた。武蔵と小次郎の巌流船島の決闘の場。
武蔵は、しばしの合掌を捧(ささ)げた。
後世武蔵は、しみじみと述懐した。「小次郎の剣は技であり、わしの剣は心だった。技において、力において、おそらく小次郎はわしよりまさっていたであろう・・・」と。 |